エッセイ

唯唯書く

結局のところ「唯書くしかないのだ」と覚った。徒然なるままに。

私は文章を書くことにのが得意ではないと感じている。一方で「感じる」ことは人一倍できると思っている。
昨今、取り沙汰されるようになった、一部の人間が持つ特性「HSP」。此れはHigh Sencitive Personの略語であるが、彼らが持つとされる特徴を、私は例外なく持っている。

「感じる」と言うことは即ちインプットをすると言うことである。
現代は情報多過。基本的に情報をインストールすることは自身を成長させる。例えその情報が信頼性に欠ける場合であっても、一旦自分の濾紙を通すと云う作業には一定の価値があるように考える。

一方で、人間はあらゆる部分で均衡を保つことを必要とする。ある一方の側面に偏るとその均衡を崩す。これは即ち、精神的安定を崩すと言うことでもあるのだ。
情報の流入を避けることの方が難しい現代。私と云う個体の特質なのかもしれないが、流入を避けられないのならば、その分流出するしかない。体内の均衡を保つために。

この結果、私が駄文を量産することは目に見えている。先人の遺す文章と比して痛く感じる。
しかしながら、強く感ずる。彼らの時分と決定的に違う、現代の特性。それは発信することの障壁の低さである。

情報を入手することの民主化が進み、同時に発信することも同様である。
このパラダイムシフトを(今更ながら)自覚し、唯書く。

今後文体も揺れ動くだろう。
今に関しては「緑の文庫」に触れたからである。

でも其れも良いではないか。

唯唯浮かび。漂うでは無く。

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