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「うつ病」克服の過程

「うつ病」というものがあります。私の人生にも大きな影響を及ぼしたものです。

先日、Twitter上でひろゆき氏が『僕が僕であるためのパラダイムシフト』(EMI著)という漫画を取り上げました。この漫画はいわゆる「うつ病」とテーマとしていますが、私はこれをを読み、只ならぬ感銘を受け、居ても立っても居られず次のようにリツイートしました。

この件について、詳細をお伝えしたいと思い、今書いています。
この記事を読んでいただく前に、お時間が許せば、本作(『僕が僕であるためのパラダイムシフト』)に目を通して頂けると嬉しく思います。

まず、本作の大きな流れを記したいと思います。
主人公はDV(家庭内暴力)のある家庭で育ち、一方でその中でも勉学に励み、一定の充実した幼少期を過ごします。しかし、高校生になった頃から心身の違和感を感じはじめ、社会人になってから、自身がいわゆる「うつ病」という状態であることを認識します。その後、薬物治療から始まり、様々なカウンセリング治療を経て「うつ病」を克服します。その後、未だに「うつ病」である友人と会話を交わします。
これが本作のプロットです。

ここで、私の立場を明らかします。
かくいう私も、いわゆる「うつ病」でした。私の場合は、心身への具体的な不具合が生じたのは大学院生の時でした。
その場は何とか持ち堪え就職はしたものの、1年以内に休職することとなりました。療養中は、薬物治療を経験し、最終的には催眠療法により回復しました。その後、復職し、現在に至ります。
本作の流れに沿えば、「うつ病」を克服し、その過程を客観的に眺めることができるようになり、同じような境遇にある方々が、克服までの道のりの中で、どの位置に居るかを分析することができる状態であると思っています。

ここまで、本作の大きな流れと自身の立場を記しましたが、実は敢えて意識して、一般の方々にも理解が容易であろう表現で記しています。本来は使いたくない表現もあるのです。大衆に伝わるような形で端的に表現することは出来ない。「うつ病」を克服する道中には突破しなければならない「常識」が多く含まれるのです。

例えば、その際たるものは、そもそも「うつ病」という概念(単語)です。
私は現在「うつ病」はそもそも「存在しない」という立場をとっています。私の辞書に「うつ病」はありません。
しかしながら、この手の話題に言及する上で概念上便利であるため、便宜上使用することがあります。

人間には喜怒哀楽があります。時に「哀しみ」の感情が生ずるのは至極当然のことであり、決して「〜病」ではありません。人間の哀しみの感情、及びこれに伴う肉体への影響を「ステレオタイプすることで都合が良くなる誰か」により作られた身勝手な概念です。

一方で、いわゆる「うつ病」という状態は、社会生活をおくる上で、不具合をもたらしがちな状態であることは事実です。解決すべき状態であると考えます。
このようなことを書くと「解決しないことを決断している人」からは罵詈雑言が返って来ること請け合いでしょう。
しかし、受け止める覚悟は出来ています。私もそうでしたから・・・同じ位置に居たことがあります。

私は「うつ病」を克服出来たと感じた時(今から振り返ると約5年前になりますが)、この経験を同じような困難を抱える人たちに伝えたいという衝動を感じました。しかし、この手の話は直接的に伝えるにはセンシティブ過ぎる。体験談として文字に起こすのは何か違う。そんなモヤモヤを感じながら過ごしていたこの5年間でした。そんな中で、出会えた本作品は、私の伝えたかったことが伝えたかった形で(ほぼ)表現されている。

元来、全てを自身の力で表現したいを考えていましたが、今は、この作品をベースにこれを脚注を加える形で、この作品の裏にあるより「エグい」部分を解説出来たらと考えています。

一記事にしようと思ったが、長くなりすぎたので分割することにします。
ストーリーに沿って、脚注記事を書いていこうかな。

初めのテーマは「家庭環境」になると思います。
貧富とかDVとか、そんな表面的な分析には留まれないと思います(笑)

【参考文献】
『僕が僕であるためのパラダイムシフト』(EMI著)

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