エッセイ

言語という記号

言語とは記号の体系である。
思考を記号化して表現したもの。それが言葉(音)であり文字(図)である。

その中でも特異な存在として、数学と云う「言語」がある。

数学では対数と云う概念がある。例えばこうだ。

「$log_{ 2 } 8$」

私は学生時分この対数の理解に苦しんだ。しかし、ある時気づいた。
上のような表記を目にしたなら、このように日本語訳すれば良いのだと。

「2を何乗かして8になる時の、その何か」

この例では勿論、$log_{ 2 } 8 = 3$であるが、数字の話をしたいのではない。

数学という言語を解釈する場合、日常の言語が何んであれ、どのように訳しても(上のような不器用な日本語訳でなくとも)、一意の意味として認識することができる。

しかし、(日本語や英語といった)日常で用いる言語は違う。

例えば、日本語で「愛」という言葉(記号)を見た時に何を想起するだろうか。

ある人にとっては、
「信頼。幸福。安泰。」
かも知れないし、

ある人にとっては、
「偽善。辛苦。不安。」
かも知れない。

一般に言語は、記号であり、それは特定のものを指すとは限らない。
時に「実数」と「虚数」ほどの違いを生ずる。

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